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TOYOTAの人物

豊田英二

豊田英二(とよだえいじ)
1913年9月12日、名古屋市西区堀端町に生まれる。
第5代社長。
トヨタ自動車を「世界のトヨタ」とたらしめた人物。
喜一郎からトヨタの技術精神を叩き込まれ,早くからトヨタを継ぐ技術者として嘱望されていた。社長就任に際しても「大政奉還」の世評に反発し「適任だから選ばれたのだ」と自負した。
カローラのヒットで自動車メーカーとして確固たる地位を築き(世界でもゼネラルモーターズに次ぐ第2位を占めるまでに成長させた),工販合併を実現した。

TIME誌選出の今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人の1人に選ばれている。

主な事業展開
1968 年:三好工場操業開始
1969 年:年間国内販売100 万台達成
1970 年:第1 回日本品質管理賞,堤工場操業
1970 年:カリーナ,セリカ,ライトエース
1973 年:明知工場操業開始
1972 年:国内生産累計1,000 万台達成
1975 年:下山工場操業開始
1975 年:輸出累計500 万台達成
1978 年:衣浦工場操業開始
1979 年:田原工場操業開始
1979 年:輸出累計1,000 万台達成
1981 年:ソアラ発表
1982 年:自工・自販合併,トヨタ自動車㈱となる。

経営方針

  • 「創意くふう」「よい品 よい考」
  • お客様第一主義
  • 魅力的な車は強い信念にリードされる
  • 中川不器男

    トヨタ自動車4代目社長。
    三井銀行から派遣にきていた際、就任に至る。
    当時、豊田英二氏が妥当とおもわれたが、貿易と資本の自由化が目前に迫っており,自動車業界の再編も避けられないと危惧し,経営管理・事務能力に長けた中川の方が安全と判断された。
    しかし、1967年の10月に急死。
    その後、豊田英二氏が5代目社長に就任することになる。

    1965年には、上郷工場創業,デミング・実施賞受賞。1967年にはダイハツ工業と業務提携。
    66年には、カローラ、67年にはトヨタ2000GT,ハイエースが発表された。

    石田退三

    石田退三(いしだ たいぞう)
    1888年11月16日、愛知県常滑市生まれ。
    経営不振により退任した、豊田喜一郎、豊田利三郎にかわり戦後のトヨタ自動車の建て直しを図り、「トヨタ中興の祖」と呼ばれる。

    「服部商店」(現興和)に入社し、上海駐在中に豊田佐吉と出会う。後に豊田紡織(現トヨタ紡織)に入社。
    石田はムダをとことん嫌い、無駄なお金を一切使わなかったといわれる。これはトヨタの危機の際に累積赤字が蓄積し銀行に融資を断られたという苦い思い出があり、「自分の城は自分で守れ」と、内部留保をとことん増やして自前で必要な機械などを買うというやり方を行っていた。

    本田宗一郎は石田の助言で藤沢武夫という番頭を見つけて本田技研工業を設立する。
    松下幸之助は、石田を師と仰ぎ、たびたび松下電器の役員は石田のところに行って話を聞くのが通例となっていた。

     
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